レース直後から、彼は逃げた。他馬を寄せ付けない、圧倒的なスピードで。誰もがそのスピードに興奮した。
一体どこまで逃げるのだろう? 一体どこまでタイムを縮めるのだろう? 期待に胸が踊る。そんなレース。
3コーナーのカーブを先頭で走る。
レースを観ている全ての人が彼の勝利を確信したであろうその時。
悲劇は起こった。
素人の私が見ても、はっきりと分かるほどの完歩の乱れ。そして次の瞬間、彼は失速した。
徐々にスピードを緩め、コースの外側へと移動する彼の横を、他の馬たちが次々と追い抜いて行く…。
「故障発生」「競走中止」「予後不良」
このレースで私が覚えた言葉だった。
『左手根骨粉砕骨折』
速すぎるほど速かった彼は、4コーナーからそのまま天へと駆け抜けて行ってしまった。
きっと故障を発生した時、彼は物凄く痛かったに違いないと思う。その場で転倒してもおかしくないくらいに。
だけど、彼は痛みに耐えた。自分の背中の上の騎手のために。
ここで転倒すると騎手は落馬負傷。最悪の場合、後続馬に蹴られて死に至るかもしれない。
だから彼は痛みに耐え、減速しつつコース外側まで移動したのだろう。
サイレンススズカは鞍上の武豊を守った。
私はそう信じている。
東京競馬場4コーナーの欅を見るたび、私はサイレンススズカを思い出してしまう。
競馬の悲しい部分を教えてくれた、光の向こうへと駆け抜けて行った彼を忘れることはないだろう。
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私が「稀代の逃げ馬」と称された彼のレースを見たのは、一度だけ。
98年の秋の天皇賞。
「むちゃくちゃ速い馬がいる」
そう言われて、初めて“きちんと”観たレースだった。
それまでの三毛は、オグリキャップの引退レース・90年の有馬記念しか
観たコトがなかった。(もちろんTV中継だけど)
パドックを周回する馬、本場馬入場する馬、ファンファーレが鳴って
ゲートに入る馬。
そういうのをきちんと観たのは初めてだったと思う。
それは98年11月1日。
サイレンススズカはもちろん1番人気。単勝オッズは1.2倍。
彼の優勝は決まっているかのような支持。
みんなが注目していたのは、その優勝タイムだった。
全ての馬がゲートに入り、いよいよレーススタート。
■ サイレンススズカ ■
(98年宝塚記念優勝)